京都国立博物館「琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る」

 今年最大の企画展の琳派展を見てきました。まさに圧巻!これだけ琳派の作品を一同に見ることができる機会はなかなかありません。特に、風神雷神図については京都で75年ぶりに俵屋宗達尾形光琳酒井抱一の3人の作品を一度に並べて展示するという、一生に一度の機械ということもあってかなりの混雑でした。実際に見てみると同じ画題でも三者三様、微妙に違う。個性が現れていて面白かったですね。
 それにしても、琳派の作品はデザインが非常にモダン。発想がコンピューターグラフィックでデザインを考えるような感性で描かれており、まったく古くない。むしろ、現代アートの最先端のような感覚を持つのも不思議でした。現代に生きていれば、間違いなく想像を超えた作品をコンピュータで描いていたのではないか?と思いますね。

佐川美術館「没後400年 古田織部展」

 戦国武将であり茶人でもある古田織部織部焼きの創始者であり、現代に通じる会席料理などの文化を創造した千利休亡き後に茶道の第一人者としてその名を歴史に刻んだ人物の展覧会です。戦国の世という動乱期だからこそ生まれた才能、そしてそれを認めた豊臣秀吉などのパトロンの存在。実にダイナミックな時代であったからこそ生まれた独創的な器の数々。地味ながら見ごたえのある展覧会でした。

美術館「えき」KYOTO「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語−スュザンヌ・ヴァラドン 生誕150年−」

 ユトリロは以前にもここ美術館「えき」KYOTOで見ましたが、その母親であるヴァラドンの作品を見るのは初めてでした。まったく美術の教育を受けずに独学で絵画を始めたそうですが、元々才能があったのか?ぐんぐん上達して行き、最終的にはユトリロとは異なった独自の地位を確立していくのは見事でした。

神戸市立小磯記念美術館「国立美術館巡回展 洋画の大樹が根付くまで」

 明治以降の日本における洋画の変遷を国立美術館の所蔵品を通してたどる展覧会でした。普段はあまり見ることができない、東京の美術館の所蔵品を中心に展示されていました。そもそも、日本では洋画は幕末から明治ごろに本格的に入ってきたのであり、当時の西洋における油絵の流行や風潮を大きく受けているのがよくわかりました。と同時に、日本独自の洋画ってなんなんだ?という問いも感じました。

国立国際美術館「他人の時間」

日本人を含む海外のアーティストを中心に映像や写真を通して同じ時代を生きる者がいかなる境遇で生活しているのか?普段は意識しないものをアートを通して感じてみようというコンセプトの展覧会でした。
 ある展示では、時計がいくつも並んでおり、それぞれの針の進むスピードが違う。これは、世界中の交通事故で一人が死ぬ間隔であったり、アマゾンの森林が消滅していくスピードであったりと感覚的に表現されていました。
 普段はあまり感じませんが、ふとこのような機会に立ち止まって考えるということも大切であり、次の日からの生活になにかプラスになるものがあると思います。

国立国際美術館「他人の時間」展、「ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours」展

 今年見た展覧会の中では、上位に入る展覧会でした。過去からの視点、例えば、フィリピンのマルコス政権下のデモ行進のプラカードを全て白紙にしてしまって、どんなスローガンが書かれていたのか?わからないながら、はたして今でもこのプラカードの内容は達成されているのか?という視点。スーツにぎこちなく着替える男性の映像から、スーツに着替えて仕事をするという文化そのものが、実は、現地の文化と合わない→西洋からもたらされた文化という視点。などなど、日々過ごす中では気がつきにくい視点からのアプローチが興味深かったです。
 知らず知らずのうちに学習?している現実が、実は、あいまいなものだったり、もっと別の視野を広げる重要性といったものを感じることのできる内容だったと思います。
 ヴォルフガング・ティルマンス展のほうは、これまた、かなりの展示作品の量で、かなり観賞に時間がかかるものでしたが、私が感じたのは単純に気が向いたものを写真で撮影するという行為(実際には計算されて撮影されていますよ!)が、後々見返してみると真実を捉えているのにも驚かされます。こうしてみると、自分のスマートフォンの写真にも今は気がつかない後年に気がつく真実が隠れているのかもしれません。そう考えると、何気ない写真も大切に思えてくるのが不思議ですね。

兵庫県立美術館「舟越桂 私の中のスフィンクス」展

 一度見てみたかった彫刻家・船越桂さんの展覧会を見てきました。初期から最近までの作品を一同に鑑賞できる今回の機会だったのですが、時代を経るにつれて造形がどんどん半人間というような不思議な彫像に変化していくのは興味深かったですね。