アヴァンギャルド・チャイナ

 今日は、国立国際美術館に「アヴァンギャルド・チャイナ」展を見に行ってきました。文化大革命以降から現代に至るまで日本ではバブルの絶頂期から崩壊の後の景気低迷時期に中国ではどのような現代美術が生まれていたのか?ということを見ることができます。

感想としては、まず、はじめに言えるのは「圧倒的なエネルギー感」です。現状に対する視点は違えども作家から発せられる「エネルギーが満ち溢れたメッセージ」は、現代の日本ではあまり見られないほどの熱さを感じました。

印象に残った作品としては、

人民服を着て右手にはペンや金槌を持ちながら、左手にはおそらく「資本論」ではないかと思ったんですが、とにかく本を持っている。しかし、ペンや金槌で作っているのは作っているのは日本のカメラメーカーの名前であったり、アメリカの絆創膏の会社名であったりと、まさに資本主義の象徴であるという作品

改革解放後の裕福になった後の「ある男」の不気味な笑顔が印象的な絵画。最近も日本で起こっていたミニバブルにも通じる「金」と「欲」の風刺と感じました。

自ら天井に宙吊りの状態となり、点滴針を刺してひたすら自らの血をポタポタと落とす映像作品。また、別の作者でコミカルな漫画的な芝居映像ながら実態は組織(会社)によって飼いならされている「犬」となった人間。かなりシュールで直接的な作品でした。

また、世界各国の民族衣装を着た老人の人形が勝って気ままに動く電動車椅子に乗っている展示では、勝手気ままに動くので相手のことはお構いなしに相手にぶつかったりしていました。解説では「グローバル化に対するシニカルな視線」ということが解説されていました。

今回一番印象に残った作品としては、『「私は死にます」という普段は考えないような言葉をカメラの前でしゃべってもらう』ということを世界8カ国の人にやってもらうとういう映像作品です。この「私は死にます」という言葉を言った後の言った人の表情が各国違うのには驚きました。英語圏の人は明るい言い方で言う前も言った後も笑顔。アラビア圏の人はしゃべり方も表情も淡々としている。南米の人かな?は、プールで泳ぎながら。イタリア語圏?はチェスをしながら、どちらも普段の会話と同じように「私は死にます」と言っていました。しかし、私が見た限りでは日本人だけは「私は死にます」と言った後に、笑顔を見せたりするものの、複雑な表情を見せたりピースサインをわざと見せたりと明らかに違和感がありました。結局、その人のこれまでの人生やその人が置かれている環境・文化によって違いがあるんではないか?と感じました。