京都国立博物館「没後400年 特別展 長谷川等伯」

 本日のメイン、今年の春の美術展の第2弾かつ、今年の要注目の展覧会「没後400年 特別展 長谷川等伯」を見に京都国立博物館へ行ってきました。前日のお昼ごろにネットにて公式サイトの待ち時間の情報をみるとなんと「100分待ち」!。これでは、大変だと言うことと今日は午後から雨ということもあって、先に御室へ桜を見に行き、そのあと博物館へ来れば人も少なくなっているんではないか?と思いましたが、案の定「0分待ち」でした(笑)。もっとも、天気も雨だったんで0分待ちだったんだとおもいますが、晴れていればこうはいかなかったと思います。
 しかし、さすがは長谷川等伯。年配の人から若い学生の人、外国の方など幅広い人が見に来ていると同時に、館内はそれなりの人の多さでした。しかし、思いのほか全ての絵をじっくり見ることが出来た上に、解説も全て眼を通すことが出来て非常に幸運だったと思います。これで晴れていればとてもじゃないですが、ゆっくり鑑賞できていないと思います。
 で、肝心の展覧会の内容ですが、さすが、長谷川等伯展という内容で、等伯と名乗る前の「春信」の時代の絵もかなりの数展示されており、画家の生涯にわたる活動が一覧できました。「春信」時代は展示の内容から見て、仏教画が大半を占めていたようで、解説によれば

画家自身の、信仰心からということもあるが、生きてゆくためという理由もあり

との文があったので、やはり、後者のほうがウエイトが大きかったのではないかと感じました。しかし、見ていると、既にこのころから人物画における対象者の人格の鋭い観察眼と衣服の緻密な描写とそれに対する人物の輪郭の太い線という、その後の等伯につながる特徴が出ているのは興味深かったです。また、実際には、「春信」時代にも野心的なものを胸のうちに秘めていたようで、仏画以外の等伯時代につながるような金箔を使った屏風絵などの製作していたことが展示されており、当時の戦国と言う時代を考えると、なかなか、したたかな人物であったのが想像できます。
 また、初期の人物画の特徴として、人物からは当然その人の人物像が伝わってくるような鋭い目線であったり気品であったりというのが伝わってきますが、それ以外にも、通常では描かないであろう馬を引く家臣を一緒に書き込むことでさらに人物に威厳を付加する効果を作っていたりと、これを既に26歳ぐらいで描いていたと言うには驚きました。
 展示中盤に入ってきますと、京に上京しいよいよ等伯として名前を広め始めると、伝説として、「山水図襖」の有名な逸話(円徳院と言うお寺の白い桐の模様がちりばめられた襖絵に絵を描きたいと等伯が和尚に申し出たものの、断られ、和尚が留守のときに周囲の制止を振り切り一気に書き上げたというもので、あまりのできばえの良さに和尚もそのままにすることを許したと言う)が紹介されており、これはある意味での当時の等伯の宣伝効果を狙った部分もあるのではないか?と思いますね。しかし、実物を見るとやはり凄い。白い桐の模様を深深とふる雪に見立てた山水の絵は見事でした。また、秀吉の子供で鶴松の菩提寺に描かれていた国宝の「楓図」、背景の金に対して、太く天に伸びる楓の大木とそれに対比した地上の花々やモクセイとの対比は、まさに、秀吉の希望と絶望そして鎮魂を表現しており、これは、近代以降の絵画にも通じる人間の内面にまで踏み込んだ見事な絵であると感じました。
 これ以外では、長谷川派が生み出した、図柄で柳の木と直線的な橋の対比が面白いデザイン的な作品は以前にNHK日曜美術館イラストレータの人が

現代のデザインにも通じる、わかりやすく美しいデザイン

と言われていましたが、実際に、見た感じでも当時この図案が京で流行したというのがわかる気がする、今見てもモダンなデザインの絵でした。
 また、今回の展示では最大の作品で親友でかつパトロンであった和尚と、26歳の若さで亡くなった無き息子への鎮魂として描いた2階建ての高さに匹敵する巨大な「仏涅槃図」の迫力に驚くと同時に、嘆き悲しむ回りの人物や動物の描写の緻密さと表情の豊かさに眼を見張られました。その真正面には、亡くなる1年半前の70歳ごろに描かれたこれもかなりの大作の馬に載った人物画も迫力がありました。この年齢でも貪欲に画業にいそしんでいるその姿は、これまで私が見てきた画家たち全てに共通するものであり、その真剣かつ命を掛けた真摯な姿勢は古今東西・時代関係なく全く同じであり、自分自身に対する反省をこの絵を見ながら改めて感じました。
 最後に、等伯といえば「水墨画」ということで、水墨画ばかりの展示となっていましたが、やはりこれが凄かった。動物の体毛一本一本の見事な描き分けや、どこか人間の親子を思わせるようなサルの絵、墨一本で見事な動き(今にも戦いを始めそうな)のカラス達、霧の中にぼんやりと浮かぶ庵を描いたものなど、まさに、等伯の真骨頂というような絵が続いた後に、最後に日本の水墨画の傑作の一つ国宝「松林図屏風」が展示されていました。OKUMUはこれを見たときに「うまく遠近法を使っているなー」と感想を言ったんですが、実際には、遠近法を使わず、墨の濃淡と筆のタッチだけで、霧に包まれた奥深い松林の遠近感を出したものであり、やはり、凄かったです。近づくと良くわかるのですが、手前に見える松は実際にはかなり太く濃い墨でかなり荒いタッチで描かれているのに対して、後ろに見える松は実際には細く薄いながら極めて精巧なタッチで描かれているのがよくわかりました。これは、

中国絵画の水墨画を見て、その技術の差に驚いた等伯が、それに対抗しうる等伯独自の水墨画として探求した結論

という解説におどろかされました。あの等伯といえども、プロであるからこそ悩んだ結果として人間味あふれる動物たちや臨場感あふれ、どこか日本の理想的な自然であり心を表現した松林図を生み出すことができたのだと思いました。

 最後に長谷川等伯は秀吉が亡くなった後、徳川家康の要請により江戸へ行くものの途中で病気にかかり、命がけでたどり着いた江戸に到着後2日で亡くなってしまいます。この波乱万丈の人生も時間を経ても人をひきつける要素になっているんだと感じます。