「第48回 京都非公開文化財特別公開『冷泉家』」

 「冷泉家」名前だけは聞いたこともあると思いますが、さかのぼれば藤原定家といった歌人として日本史に登場する人物にまでさかのぼる名門旧家なんですね。場所は、京都の同志社大学今出川キャンパスの近所、つまり、私がちょこちょこ訪れる相国寺の近所にあったわけです。正直、言われなければ外からはわかりません。なぜなら、表からは普通の民家に見えるんですね。 で、この「冷泉家」。公開をこれまでもやっていたようなんですが、文化財保護の意味もあって公開期間が非常に短い。今回も4日間しかありません。都合よくタイミングが合わなければ公開されていても内部を見ることが難しいわけです。今回、偶然に都合があったのでこの機会に見ようと思って見に行ったわけです。
 中に入ってみると、まずは、土間に案内されました。まず、興味を惹かれたのはその天井の高さ。通常の建物の2階部分まではあるでしょうか?吹き抜け状態になっていました。おそらく、夏の京都の暑さをしのぐため、熱気を建物上部に逃がし、1階は涼しく過ごせるようにという工夫なんではないかと思います。また、建築材には松の木が使用されており、火事に強いものが使われているようです*1
 その後、玄関に当たる部分の見学。ここでは、身分に応じて入り口が分けられていること、籠車から直接に家の中に入れるように籠車の高さに合わせた縁側の高さであったりと興味深い部分を見ることが出来ました。その後、大正時代に道路拡張により北側に敷地を移動した際に増築された部分を見学した後、国宝などが収められている土蔵を外から見ることが出来ました*2。なんでも、土壁の厚さは25cmあり、火事に耐えられるように設計されており、ただし、屋根部分だけは木造となっている。これは、屋根が燃えても木造なので叩き落せば内部に延焼が広がるのを防ぐことができる。それでもなお延焼を防ぎ切れなった場合に備えて、土蔵の隣に「から井戸」が掘られておりそこに文化財を投げ込んで火災から守るということが行われていたとの説明でした。2重3重の対策が何百年も前から行われてきたわけですね。
 それにしても、今は当主の人は住んでないようですが*3、管理は大変だなというのは容易に思いますね。

*1:京都は町中が燃えてしまうような火事や地震、また、戦乱など動乱を経験してきた歴史があるため、備えがなされているようです。

*2:今でもこの土蔵が使われているのか?不明です。おそらく、本当に大切なものは、博物館などに寄託されてると思いますが・・・

*3:文化財保護のため