「生誕120年 小野竹喬展」

 秋の美術鑑賞第3弾は大阪・天王寺公園大阪市立美術館にて「生誕120年 小野竹喬展」を鑑賞してきました。名前だけは聞いたことがある「小野竹喬」ですが、日本画の画家というぐらいの知識しかなく、どんな絵を描いていたのかもよくわからず(正確には、展覧会概要紹介の公式サイトにて掲載されているものを見たぐらい)行ってきました。
 まず、入り口を入るまでに気が付いたのですが、今回の秋の美術鑑賞の中では一番人が多いように感じました。で、入ってすぐの最初の解説で気が付いたのが、「カミュー・コロー」という名前。解説によれば、初期の作品は、いかにして自然を表現するかを探求する中で西洋美術にも触れることになったとのことが解説されていました。実際に、初期の作品を見てみると、なるほど、昨年神戸で見たコロー
の絵画を思い起こさせるような色使いや画面を分割するようなイメージを思い起こさせる木の大胆な描き方など、なるほどと思ってしまうものでした。簡単に言ってしまえば、西洋画と日本画を折衷化したとでもいうんでしょうか?初期の伊勢志摩地方を描いた大作など遠近感がある上に情報量も多く詰め込まれている「西洋画」のような感じを受けました。
 その後、西洋画の影響を排して独自の画風に変化してゆくわけですが、興味深いのが、その変化の前兆というべきものが、「空間の曖昧さ」というか、キチッとした水平線ではなく「ぼんやり」とした水平線であったり、朝霧の向こう側に見える民家であったりと「普遍的」な雰囲気が漂ってきながらも、「そのとき起こった一瞬」を見事に捕らえている点でした。そこには、初期ほどの多くの情報は無いですが、しかし、自然の四季を見事に捕らえている驚きがありました。
 今回の展覧会で一番驚いたのが、竹喬という人が晩年に近づくにつれて絵画の輝きが増していく点です。晩年に近づくほど「叙情的」な作品となり、足元のわずかなスペースの小さな草花などを視点を地面すれすれにおいてまるで昆虫が見ている景色のような風景画を描いたり(つまり、自然はごくごく身近なところにあるということですね)と初期とは大きく視点も変化していきます。特に、晩年の芭蕉の「奥の細道」を竹喬自身の解釈として再生産したといっても良い10点の連作は良かったですね。

 その後、常設展も見ました。今回は東洋陶磁器や中国石仏のコレクションが展示されていましたが、この中国石仏のコレクションは圧巻でした。中国のその時その時の時代によって仏像の顔の表情が大きく異なることや、異民族と漢民族との間で文化が融合して仏像の後ろの飾り模様?が変化するのもなるほどと確認することが出来ました。
 しっかし、常設展を見ていると大阪の商人の力をまざまざと感じるコレクション群であると肌で感じますね。