大阪高島屋「昭和・メモリアル 与勇輝展」

 場所を中之島から難波へ移動し、大阪高島屋にて人形作家の与勇輝さんの作品展を見てきました。今回のメインテーマが「昭和」ということで、いきなり、昭和天皇マッカーサー元帥の人形から展示が始まり、戦前・戦中・戦後の境目を新作の人形で展示されていました。人形それぞれの背景には、その人形のテーマとつながるような風景写真が付けられていたりと、見るものを人形の世界にスッと入ってしまうかのような錯覚を受けます。しかし、仕草や鋭い瞳などの物語性は「人形」という枠を超えた絵画のようなメッセージ性をもっているのを強く感じました。
 とはいえ、戦前・戦中・戦後の境目は、私にとってはまさに「近現代史」の教科書で習うような事柄になってしまっているので、リアルタイムの経験がないため、同時代を過ごした年配の観覧者の方が口々に

(ここより引用)

  • あのころは焼夷弾から逃げるために「防空壕」にいてたわね〜
  • (「今日もお芋しか食べ物がない」という主題に対して)確かに、あのころは「さつまいも」しか食べるものなかったものね。でも、この人形の持っている「さつまいも」は豊作の方じゃない?私の記憶では、こんなにも芋が実っていなかったように思うわ

(引用終わり)

などなど、興味深い話を友人知人どうして観覧に訪れている年配の方の話を聞きながら、我々にとってはまさに未知の世界の話になってしまうのを実感しました。
 しかし、後半では、これまでの代表作となる作品群が展示されており、特に、電車の車内の乗客を再現した作品は駿逸でした。いかにも、電車の中で見かける人の姿が人形を通して表現されており、

(ここより引用)

あ、これは「〇〇さん」にそっくりちゃう?

(引用終わり)

というような声も聞かれ、私だけではなく他の観覧者の方も同じ印象を持っていたようです。しかし、実は、この車内の乗客たちは「〇〇さん」ということではなく、まさに、この人形が表現している人物一つ一つが観覧者自身に内在している存在である事に後で気がつきまして、改めて自分自身を振り返ってみるヒントを与えてくれる深い作品であると感じました。
 そう考えると、他の作品でも、背景が鏡になっているものがあり、それは当然、後ろ姿(人形の後部)はどうなっているのか?を見れるというのが第一なんでしょうが、それともう一つ、「人形を見る鑑賞者自身を自らが鏡を通して見る」という観点も含まれているのではないかと思います。
 最後に、この展覧会では政治学者の姜尚中さんの言葉が紹介されており、

(ここから要旨)

  • 戦後の日本の経済発展の萌芽は戦前にあった←(これは、満州国の運営が基板になっているという説が有力であることを大学時代に習った記憶があります。結局、終戦後その成果が日本本国で実行されていくわけです)
  • 終戦後からアジア地域では戦争があったが、日本ではそれに直接は巻き込まれることがなく現代に至っている。しかし、それは、ある意味で「アメリカの満州国」となったことと引換となっている

(要旨終わり)
という指摘は、的を得たものだと思います。