地下深く 永遠(とわ)に 〜核廃棄物 10万年の危険〜

 我が家はBSを付けていないのですが、NHKオンデマンドが登場したおかげで、BSで放送されているドキュメント系の番組も見れるようになりました。
 今回は、北欧フィンランドの核廃棄物の「最終処分場」に関するドキュメントを見ました。原子力を使用している世界中の国の中で唯一「最終処分場」を建設しているフィンランドの事例は、これから必ず建設を必要とする日本においても参考になる部分が多々あったように感じました。
 そもそも、10万年という想像もできない長期間にわたり、環境に影響をあたえることなく外部と遮断した上で、放射能が放出されないようになるまで静かに保管するということ自体途方も無い計画なのですが、この計画を立案する過程において、

  1. 今後6万年後に氷河期がやってくる可能性
  2. 自然災害に十分耐えられる構造(具体的には、最も安定していうると思われる自然の岩盤を繰り抜き、坑道を作った上で核廃棄物を埋める)
  3. 戦争や政治環境の変化、もしくは、国の存在そのものが消失したとしても、10万年は確実に外部との接触を遮断できる構造(これは、究極的には人類の絶滅の可能性の場合も含む)

といった具合に、今日本において考えられているような思想とはかけ離れた、極めて冷徹な設計思想に基づいていることを強く感じました。これはおそらく、「資本主義は自壊したのか」にも触れられているように、ヨーロッパの国という面が大いに関係していると思います。長い歴史の中で、戦争などで国が消滅したり、天災などにより飢饉や感染症の流行などがあったりという経験から出てきている部分が大きいと思います。また、日本と対極の対応をとっている部分としては、プルトニウムを再利用するという手段を放棄した点にあると感じました。具体的には、
(ここより引用)

  • 核廃棄物からは胴やウラン、プルトニウムが取り出せるので、将来的に「貴重資源」として扱われる可能性が充分に考えられる
  • ただし、プルトニウムを再利用して発電に使うというような発想は、プルトニウムが漏れ出すという事故のリスクを考えた場合、あまりにもリスクが大きすぎるので現実的ではない
  • それゆえに、人々の記憶から無くなるまで核廃棄物の埋蔵の事実は、視覚的にも記憶の上でも遮断しなければならない

(引用ここまで)
というようなことが、当事者の人達から語られていました。これは、旧ソ連チェルノブイリ原発事故の経験があるためというのが非常に大きいと感じました。
 このように、本ドキュメントはあくまで核廃棄の難しさを教えられる作品なんですが、それと同時に、欧州における「歴史の経験に基づいたリアリズム」というものがどういったものなのか?垣間見ることができる作品であったと感じました。